巷や友人との会話で優秀という言葉が出てくる。
「XXX君は優秀だから」
「YYY会社に勤めてるんだ。優秀だね。」
“優秀な人の特徴3選”
と言った具合に、会話や記事で多くの言葉が見られる。
しかし、そもそも優秀とは何なのだろうか?この言葉に疑問を持ったため、世間で言われる優秀の意味と本来あるべき姿について考察したい。
まず、辞書的な定義はどうなっているのだろうか?辞書を引いてみると、「非常に優れていること、そのさま」と出てくる。ううむ、わからない。優れているとはなんだろうか?さらに辞書を引いてみると「物事の程度が他に比べて優っているさま。他よりも良い評価をするべきと思われる様子」と出てきた。では、優っている、良いとはなんだろうか?これは、「物事や行為が正しく、好ましい」ということだそうだ。
つまり、優秀とは、ある物や事や人が相対的に他のモノやヒトよりも、受け手にとって価値観に沿うものであり、好印象を与えるものことのようだ。
これを現代の文脈に置き換えるとどうなるだろうか。歯に着せぬものいいをしてしまえば、人々の価値観は得てして年収や偏差値や地位にとらわれており、それが高ければ高いほど好印象であると言われているのが現状ではないだろうか。
しかし、この好印象、言い換えれば承認欲求を求める道に終わりはあるのだろうか。IT技術の急激な発達により情報洪水が怒っている現在、ソーシャルメディアにおいて、上を見ればきりがない。そしてその上に行くために努力をすることは果たして正しいのだろうか?(私は人々が身の丈を弁えることが大切であると考えている)
そこで、その代替案となり得るのが自分なりの絶対的なベクトルを持つことである。他人からの評価に左右されるのではなく、自分が良いと思う絶対的な軸を持ち、その方向に向かって突き進んでいく。そのことによって充実感を得ていく。これが必要なのではないか。
現在日本には閉塞感が漂っており、幸福度も低い状態である。その原因が優秀という言葉に詰まっており、そこから抜け出すことが幸せの道だと私は考えている。
コメント